昨年の暮れに私の恩師の追悼集が出ました(平成28年に逝去されています)。
私もそこに書かせていただいたので紹介します。
*追悼集では教授の本名で書いてあります。

         転機

 人生には転機というものが1-2回はあると思っていますが、、、私にとっては恩師T先生との出会いがそうだったと思っています(T先生にとっては私は大勢の弟子の中のひとりにすぎませんが、、、)。

 学生時代は順調に過ごしていて卒業したらどうしようかなーと考えていた6年生の時、あるアクシデントから国家試験はおろか卒業もできるのだろうかと追い詰められ(うつ状態)、、、それでもどうにか卒業し、国家試験もパスしたよう、、、しかし将来への不安も強く、どこの科にいこうか?と本当に悩みました。おそらく同期の卒業生100人の中で私一人が行先が決まっていなかったと思います。この後どうしたらいいんだろうと円山から宮の森にかけて毎日徘徊しておりました。
 考えに考え一年間だけ精神科で研修を受けようと思いT教授に会っていただきました。昭和61年4月の末ごろだったと思います。私の話を聞いていただいた後、物静かで温厚なT先生から二つのことを言われました。
一つは「将来どの科にいっても精神科で一年間研修したことは役に立ちますよ。」
二つめは「歓迎しますよ。」
この時のほっとした気持ちは30年以上たった今でも思い出すことがあります。胸というか背中が熱くなるほどでした。ありがたかった。

 こんな経緯で入局しましたが、、一緒に入局した他の二人は精神科医になりたくて医大に来た人たち。こっちはついこないだまでどこに行こうか悩んでいた私、、、知識の量から読んでる本まで違って、正直何がわからないかもわからない状況でした。
そして30年以上たってます。(一度ほかの科にいきたくなり教授に相談しましたところ当時は人が少なくて一年だけ待ってくれないかと言われました。一年待っていたらやっぱり精神科を続けたくなり今に至っています。)
 のびのびと研修をさせていただきました。7-8年目ぐらいの時でしたか、当時は睡眠の研究をしていたので当直以外でも大学に泊まることが多い日々でした。ある朝、終夜脳波をとり終った後だから7時ぐらいでしたか医局のソファで寝てました。するとソファの横の本棚をがたがた動かす音がする、、、うるさいなーと思い目を開けるとT先生が「すみませんねー、起こしてしまって」とおっしゃり、あわてて飛び起きました、、あはは。自分で考え少しずつ精神医学に慣れ親しんでいける教室でした。
 また平成9年に大学を辞めてクリニックを開業してからもT先生から飲みに誘っていただき「クリニック、順調ですか?」と心配していただきました。
 T先生が体調を悪くされてからはお会いすることもなくなってましたが私にとっては心の支えになっていたんですね。亡くなられたと聞いたときは大変さみしい気持ちになりました。
 今思うのはT先生の教室に入れていただき精神科医としてのスタートをきれたことが喜びであり感謝であります。ありがとうございました。