この頃新さっぽろにいる友達が遊びにこないかと誘ってくれて当時は西28丁目に住んでいたのですが地下鉄にじーっと座っていられないので歩いて行きました。5-6時間かかったと思います。それ以来新さっぽろまで歩いて行ったことはありません。また琴似にいる友達と飲みに行きました。友人 「酒、飲んでいいの?」 私 「いいんだ」(もうどうでもいいんだ)。この人は酒が強い人で一緒に飲んで私が介抱されたことはありましたが私が介抱したことはありません。しかし、、、2軒目で焼酎を2−3本飲みました。僕のほうが多く飲んでました。彼はベロベロで僕が肩を支えている状態。こんなことはいままでなかったし、、、僕も酔ってるんでしょうけど全然酔ってない感じ、、、足元もしっかりしてるし、、、、俺は酒も酔えなくなったんだろうか?(今は日本酒2合も飲めばかなり酔えます。酒は控えめに!)

 タバコも止まらなくなることを繰り返していましたし、おそらくは食事も止まらなくなることがあったのでしょう。体重が15kg増え75kgになりました。あまりに体型が変わるので眼科の先生からステロイドのんでる?と聞かれました(ステロイドを飲むと体重が増えることがあります。もちろんステロイドのんでません)。

 9月ごろ友達が模擬試験を受けようと強く誘ってくれました。そんな試験受けたってよーというのが僕の気持ちでしたが受けたらうちの大学の受験生70人中60位でした。うちの大学は6年生が100人いるのですが国家試験で10人落ちることはありません。友達は今からでも間にあうから勉強しようと誘ってくれ仕方ないので(すみません、そんな気持ちでした)勉強会に参加しました。この勉強会というのは問題集を各自10ページずつこなしてきてそれを説明していくような感じのものです。小さな勉強会だったので、、、3人くらいでしょうか、、、僕以外はちゃんとやってくるのですが僕はおんぶに抱っこ状態でした。年末頃には卒業試験をしていたと思うのですが(数日ごとに試験をしている)その合間に勉強会に行こうとして西20丁目のあたり(札幌市医師会館の横)で足が動かなくなり医大まで行けないような感覚に襲われたこともあります(5-10分、足がすくむというか立ちつくしていた、、、不気味ですよね)。

 またこの頃になると家でも勉強していたというかベッドの横に小さな机をおいてそこにある問題集を眺め疲れたらベッドによしかかるという日々を過ごしていました。一日14時間ぐらいはそうしていたように思います。もちろん集中なんかしていません。またベッドに横になっても寝れないので(時々はベッドで寝てたんでしょうけど)ベッドによしかかって30分から一時間経ったらまた問題集を見つめる、そんな繰り替えしをしていたとおもいます。苦しかったのは覚えているのですが、、、でもよく覚えていません。

 3月のはじめに国家試験があったと思います。どうにか試験会場まで行って2日間をしのぎました。答え合わせをすると72-73%ぐらい出来ているようでした。もちろん僕の友人たちは85%は出来たようでした。当時国家試験は65-70%で合格という話でしたので友人たちは「お前、受かったぞ」と喜んでくれたのですが僕はそうなのかな?という気持ちぐらいでした。当時の医大生は卒業後は殆どが大学病院の各医局(内科とか外科)に勤め実際の勤務はゴールデンウィーク明けからになってました。ですから国家試験の後はほとんどの学生は舞い上がり状態。学生結婚する奴もいれば海外旅行に行く奴もいて、、、なかには二回も海外に行った奴がいたとか。
でも僕はそれどころではありませんでした。というのはほんとに受かったのかな?という気持ちもあったのですがもし受かったとしても卒業後の進路が決まっていなかったのです。同期100人いて僕一人だけが行く場所(医局)が決まっていなかった。今思えば誘ってくれてた先生方もいました。でも頭に入ってこなかったんでしょうね。この後どうしたら?毎日落ち着かなく海外旅行どころではなく円山、宮の森、西高のあたり(ちなみに僕は札幌北高出身です、、、あはは)をどうしようどうしようと思いながら歩きまわってました。
 やはり毎日がきつかったのです。そんな日々でしたが”そうだ、精神科で一年研修するのはどうだろうか”と考えました。精神科医になるつもりはなかったのですがどこかでのんびりしたかったんでしょうね。精神科なら今のぼーっとした僕でも隅においてくれそうな気がしました。そんな心構えで勤めていいのか迷いましたが他に考えもなくまた精神科の先輩のところに相談にいきました。まだ声は震えていました。先輩は「おまえ休学してなかったのか。」と驚きながらも僕の話を聞いてくれ教授にあわせてくれました。この教授が私の恩師になるT教授です(先年亡くなられました、、、大変さみしい気持ちになりました)。

 教授は物静かでとても温厚な方でした。僕の話を聞いてくれたあと2つ言われました(もっと言われたかもしれません、、忘れました、はは)。
ひとつは「あなたが将来どこの科の医者になるとしてもここで一年間精神科を勉強したことはきっと役に立ちますよ。」
そしてもうひとつは「歓迎しますよ」、、、この言葉を聞いた時に僕は眼の奥と胸の奥というか背中のあたりがジーンと熱くなってきました。身体が震えるような、、、居場所ができてホッとしたんでしょうか。家に帰ってから涙が止まりませんでした。安心して涙がでたのは生まれて初めてだったかもしれません(今でもこの時のことを思い出し胸が熱くなることがあります)。それから声も震えなくなっていきました。
 
 あの目の怪我からちょうど一年経ってました。僕の心は揺れに揺れ、さまよい、、、えらい目にあった一年でした。自分なりにもがき苦しみましたが、、、ぜんぜんうまくいかずいろいろな人たちにサポートされながら気づいたら一年たっていた。周りの人たちに迷惑をかけ、支えられ、助けられた1年でした。でも本当に多くのことを知ったというか知るきっかけになった貴重な一年でしたね。
 ただもう一度やってみるか?と言われると、、、ははは、腰がひけてしまいますね。